2020-11-19 第203回国会 衆議院 農林水産委員会 第6号
今先生から御紹介いただきましたとおり、私は富山県が地元でありますので、富山県は、立山連峰、三千メートル級から川が流れ込みまして、非常に富山湾は深い湾になります。能登半島もありますので、天然の生けすと言われておるんですが、寒ブリですとかシロエビですとかホタルイカですとか、豊富な魚種がある湾でありまして、私自身も非常に水産業を身近に感じてまいりました。
今先生から御紹介いただきましたとおり、私は富山県が地元でありますので、富山県は、立山連峰、三千メートル級から川が流れ込みまして、非常に富山湾は深い湾になります。能登半島もありますので、天然の生けすと言われておるんですが、寒ブリですとかシロエビですとかホタルイカですとか、豊富な魚種がある湾でありまして、私自身も非常に水産業を身近に感じてまいりました。
富山県は急峻な地形でありまして、三千メートル級の立山連峰から急流河川によって日本海まで大量の土砂が流されてきて、そして扇状地を形成していきました。
富山県の最高峰の立山連峰の標高三千十五メートルにちなんだ運動でありまして、富山県が旗を振っており、富山県民は誰もが知っているわけでありますが、多くの皆さんは初めてだというふうに思いますが。 乾杯後三十分、またお開き前の、ここは富山は十五分間ですね、しっかり着席をして料理を楽しもうということ。
私の高知県と違いますのは、立山連峰を背景とし、豊かな雪解けの水が扇状地帯を潤して、そして富山湾に流れ込み、さまざまな、魚種豊富な漁業の産地を形成しているというような、山、平地、海、三つが一体となったすばらしい地域だということを認識させていただきまして、非常に感動的でございました。
かねてから立山連峰には氷河があるんではないかと、戦前からその可能性を指摘をされてきましたが、場所が場所だけに、これまでなかなかその確認がされませんでしたが、長年にわたる研究者の、あるいは山岳ガイドの皆さんの命懸けのそれこそ研究調査で、先般日本雪氷学会から氷河が確認をされたところでありまして、これまでは東アジアではカムチャツカ半島が南限でありましたが、日本の立山がこれによって南限になったということでありまして
富山県にも、立山連峰ですとか黒部峡谷ですとか、富山湾、蜃気楼ですとか、ほかにもいろいろ五箇山の合掌造りとか、ホタルイカ、マスずし、寒ブリと、いろいろ宣伝をさせていただいたようですけれども、いろんなこの富山の資源というものはあるわけでございます。 日本にも、富山に限らず日本全体で本当にいろんな資源はあるというふうに思うんですね。美しい日本であります。
さらに、立山連峰とか蜃気楼と富山湾というので非常に風光明媚なところですので、四季折々の気候情報、そういったものも出したいというふうに言っています。 さらに、私どもの生活に密接な関係のあります診療所、これもできるだけきめの細かい診療所案内、これは祝日、休日、そういったところが中心になりますけれども、こういった情報も出していきたいということを富山局では検討しているようであります。
私どものふるさと富山ですと、立山連峰からどっと水が落ちてきますから、どの農業用水も大変急流なんですね。そこへチューブラー発電機というのでどぼっと入れますと、何もダムを造らなくても発電ができると。 特に、この間も私ちょっと申し上げたんですが、県営の水力、県営の考え方だけでやっておりますといろんな知恵が出てきません。公営の考え方では出てきません。
富山県といいますと、漁師さんが富山湾に出まして立山連峰を必ず眺められるそうであります。そのときに感じるのは、川の急流さ、まるで滝が何本も富山湾に注ぎ込まれている、こういうふうに感じるという話をよく聞きます。とりわけ私の住んでいる魚津市では、アルプスから流れる冷たい川水、そして温暖な暖流、寒流がそこでぶつかり合う富山湾、そういったときにそこにできるのが世界的にも有名な蜃気楼であります。
思うに、万葉の歌人大伴家持が越中守として赴任中に詠んだ、あの「立山に降り置ける雪を常夏に見れども飽かず神からならし」と、神の山にふさわしいとたたえた、雪をいただく立山連峰に連なるふるさと富山への思いだったのでしょうか。 ここに謹んで、故永田先生のお人柄と御業績をしのび、院を代表して心からの御冥福を申し上げ、哀悼の言葉といたします。 ─────・─────
住先生は、三千メートル級の北アルプス立山連峰を間近に仰ぐ富山県魚津市に、大正九年呱々の声をお上げになりました。幼少から学業に秀で、旧制魚津中学校四年修了をもって旧制富山高等学校に進学されたのであります。昭和十五年、東京帝国大学法学部に進まれた先生は、在学中に既に高等文官試験の司法、行政の両科に合格されました。
もっとも、私どもの地域で除雪、排雪をやっておりますと、木間君、君は建設委員会におるんだが、トラクターを持ってきて、あるいはいろいろ建設機械を持ってきて立山連峰を崩してもらえぬか、こういう率直な、投げやり的なとも言い切れない話をよく耳にするわけです。ですから私は、この自然が恵んでくれた財産は一体だれの所有なのか、財産じゃないだろうか、このことを冒頭申し上げたところであります。
立山連峰を背後地に富山湾を抱え込むような地勢からなる富山県は、近時見直しを径た住みよい富山県をつくる総合計画に基づいて、国土保全事業、生活産業基盤整備事業が着実に進められておりました。 能登半島より富山県に入ってからの国道百六十号線は、建設省直轄管理区間に指定されており、急カーブ、幅員狭小の部分はありましたが、概して一次改築を完了しておりました。
立山連峰を仰ぎ、日本海に抱かれた郷土富山平野は、いま、緑に覆われております。先生が郷土に残された幾多の業績と御遺志は、先生を敬愛する多くの人々の心に深く刻まれ、力強く受け継がれ、永遠に消えることはないでありましょう。
松岡松平先生は、明治三十七年十二月、立山連峰剣岳のふもと、富山県上市町にお生まれになりました。少年時代、青雲の志に燃えた先生は、十三歳にして単身上京し、つてをたどって神田の洋服店に入られました。
立山連峰の有料道路は、富山県としては、つくるにはつくった。しかし、あそこの人たちの良識あるいは環境庁の指導もあったかもしれませんが、つくったばかりで自動車に乗り入ればさせません。みんな下のほうの駐車場へ置いて、そして県営のバスでもって頂上までお客さんを運んでいる。私たちが参りましたときには、県としては迷っておりました。
そして、一定の地域でもって監視を十分しながら、立山連峰の美しさをお客さんに見せておる。ところが、私どもが行きましたときに、富山県としては、せっかくつくったんだ、何とか利益が上がるようにしたいんで、来年あたりはと言ったのですが、今度は環境庁から、もう中へ自家用車は乗り入れてはいけませんよと言われた。
○杉原一雄君 次は、問題を変えますけれども、同じ自然を愛するグループで環境保全グループという銘を打って、私の県の誇るべき大自然である立山連峰の自然を守る会が、六月の下旬にわたって宣伝ビラ等を街頭に出てまきながら、立山連峰の自然を守ろうという運動を展開しているわけです。
黒部第四は、北アルプスの峻峰、立山連峰を縦横にくり抜いて、人跡未踏の黒部秘境に高さ百八十六メートル、堤長五百二十六メートルに及ぶ世界第二のアーチ・ダムを作り、最大出力二十五万八千キロワットの発電所を建設するものであります。従いまして、その工事の困難にして規模の雄大なることは、一目瞭然であり、いまだ日本の電源開発史上例を見ないところであります。
まず調査の主要目標である利水面の黒部第四、有峰、御母衣のダム及び発電事業から申し上げますと、黒部川は御承知の通りその源を北アルプスの鷲羽岳に発し、立山連峰と白馬連峰の間の黒部峡谷を北流するもので、流域の年平均降雨量三千八百ミリの多雨地帯であり、特に冬季の積雪は約五メートルに達し、水量調節の役をもなすといわれています。また平均四十分の一という河川の急勾配は電源開発に非常に有利な条件であります。